2012.02.22
「小泉改革」の一つとして自民党政権下につくられた障害者自立支援法。その制度は「保護から自立」のかけ声とは裏腹に、障害者をより生活困難に陥らせたが、政権交代で誕生した鳩山政権は法の廃止を決めた。ところが2年たった今、政府は法の延命策を模索している。もし廃止されなければ、マニフェスト(政権公約)破りどころか、重大な国の約束いわば「国約」違反となりかねない。
「自立支援法の『自立』とは、国の世話にならないこと。つまり、構造改革の一環として障害者は『自己責任』でやれ、という発想で法律がつくられた」。こう話すのは、NPO法人日本障害者センターの事務局次長、家平悟さん(40)だ。
中3のとき、プールの飛び込みで首の骨を折り、後遺症で体が動かなくなった。わずかに動く腕で電動車いすを操り、手に結わえ付けた棒でパソコンのキーボードをたたいて仕事をこなす。
妻ふきさん(38)、息子2人と東京都板橋区内にある妻の実家で暮らす。日常生活は介護サービスなしには送れない。毎日、朝と晩にヘルパーが来て、トイレや着替え、入浴などの介助をする。
同法は小泉純一郎政権の2006年4月に始まり、利用者の支払い能力に応じた「支援費制度」から、原則一割負担が強いられた。家平さんは大阪府岸和田市の福祉作業所で印刷の仕事をし、月収は6万円だった。
重度の人ほど利用額はかさむ。身障者手帳一級で、負担は上限額の月額37200円。ほかに昼食代が7千円、外出時の移動支援費が4千円などが新たにかかり、給料はほとんど消えた。「長男が生まれ、もっと稼がなくてはと張り切っていたときで、働く意味って何だ?と思った」
作業所仲間だった元大工の50代男性は、脳卒中で倒れ、半身まひが残った。やっと社会復帰を目指し始めたが、月給が1万2千円で、利用料は月1万5千円。差し引き3千円分を、月10万円ほどの妻のパート収入から支払わなければならない。「理不尽すぎる」と通所をやめてしまった。
知的障害者の長男を育てていた視覚障害がある40代の母親も作業所をやめた。家平さんは「人生のどん底にいた自分が障害と向き合い、『生きたい』と希望を持てたのは、学校や作業所に通い、多くの人と出会ったから」。そんな社会参加の機会を、法が奪った。
市町村民税非課税の低所得者は10年度から無償となったが、「配偶者の収入」も本人所得とみなす枠組みが残った。障害者団体で働く妻の収入があり、月18600円を負担し続けている。
国は「相応の負担を」と言うが、障害者にとってサービスとは日常生活を送ること、「生きる」ことだ。障害の程度を等級で分け、受けられるサービスも制限された。
小さい作業所ほど経営難に陥り、非常勤職員などが増えた。「厚生労働省は85%の障害者が無償になったと胸を張るが、利用サービスの種類や量を制限し、質も落ちた」と家平さんは訴える。
「誰でも障害者になる可能性はあるし、高齢者も一種の障害者。今回の改正案は何も変わっていない。自立支援法を廃止して、根本の考え方を変えなければ。障害とは社会全体で克服していくものです」
“自立阻害法”ともいえる法律に、障害者たちは声を上げた。「福祉・医療サービスの量を制限して利用分の負担を求めることは、人間の尊厳を傷つけて違法だ」と2008〜09年、全国14地裁で障害者自立支援法違憲訴訟を起こした。
こうした中、民主党は自立支援法の廃止と新法制定を政権公約に掲げ、同年8月の総選挙で政権交代を果たす。早々の9月に長妻昭厚生労働相が廃止を明言。政府の申し入れに応じ、違憲訴訟団は話し合いによる解決に向けて協議を重ねた。
歴史的な「和解」となったのが10年1月7日。厚労省が違憲訴訟団の原告との間で、「遅くとも13年8月までに自立支援法を廃止し、障害者の十分な意見を聞いて新法を制定する」との基本合意を締結した。
地裁での訴訟が全面終結したのを受け、4月21日には鳩山由紀夫首相が原告団を官邸に招き、全面的に謝罪。6月に法の廃止を閣議決定した。その後、有識者ら委員55人でつくる内閣府障がい者制度改革推進会議・総合福祉部会が討議し、11年8月、基本合意を土台にした新法の骨格提言をまとめた。
ところが、通常国会初日の先月24日、事態は暗転する。内閣官房から提出された法案名が「障害者自立支援法一部改正法案」と判明。さらに、2月8日の部会に出された厚労省案には「廃止」の文言がなく、改正案そのものでしかないことが公になった。
部会の委員で、違憲訴訟弁護団事務局長を務める藤岡毅弁護士(49)は「部会に提言を依頼しておきながら、内容を反映していない。最初から自立支援法の延命を考えていたのでは」と憤る。
120ページにわたる部会の骨格提言に対し、改正法の厚労省案は概要とはいえわずか紙4枚。「サービスの利用者負担の原則無料化」「現行の障害者の程度区分を見直し、本人の希望を尊重して利用サービスを決める」など60項目の提言のほとんどが見送られ、委員から疑問の声が上がった。
藤岡氏は「基本合意を信じて裁判から手を引いた違憲訴訟団を踏みにじる行為だ。裏切りだ」と語気を強める。
永尾光年企画課課長補佐は「これまでに法律を廃止したのは、らい予防法などごくわずか。政策に一定の継続性がある場合、『廃止』とはいっても法技術的には『改正』のことなんです」と話す。つまり、事務方にとっては最初から「改正ありき」だったわけだ。
藤岡氏の怒りはぶれ続けてきた民主党政権にも向かう。群馬・八ッ場ダムの建設中止、沖縄・普天間飛行場の県外移設、子ども手当…。目玉の政権公約は官僚の言いなりのまま、次々と反故にしてきた。「自立支援法の廃止は重みが違う。国が調印、閣議決定までして約束した、いわば『国約』だ。最後の砦まで裏切るのか」とあらためて廃止を求め、こう続けた。
「『国は国民との約束を破ってもいい』との、悪しき前例になりかねない。政権交代をした民主党の歴史的な存在意義は、消えてなくなるだろう」
<デスクメモ> 「法律とは生きていることを励ますものではないのですか」。障害がある子の元原告補佐人の女性の訴えが胸に迫る。名折れた政治主導をあざけるように厚労官僚が廃止をひっくり返す。1割負担をやめて財務省に頭を下げるのも嫌なのだろうか? 希望の芽を摘むご都合主義の政官一体は願い下げだ。