2012.03.01
日本障害者協議会常務理事 藤井 克徳
日本の障害関連政策は、本質面においてなぜこうも遅れをとったのだろう。二つの理由が考えられる。一つ目は、歴代の立法府や行政府がまともに対峙してこなかったからに他ならない。障害分野が政治の表舞台に登場することは稀で、時々の政策課題を論じ合うNHKの日曜討論でも主題に取り上げられることはなかった。まともに対峙してこなかっただけでなく、間違った対応や誤解を招くような見解が遅れを増幅してきた。例えば、昨今の厚労省担当部署のコメントに「障害者福祉予算は、ここ数年、前年度比で10%前後伸びている」というのがある。予算の伸びはたしかたが、ここで最も問うべきは「予算が伸びて事態が好転しないのはなぜか」であろう。これについては納得のいく説明がない。砂漠に水の譬えではないが、遅れに遅れをとっている障害分野にあって「前年度比増」とする発想法自体がナンセンスと言わざるを得ない。アップ率だけが虚しく浮遊し、昔風で言えば「大本営発表」のようなものだ。詭弁を弄するのではなく、遅れの事実を受け入れる潔さがほしい。
遅れの理由の二つ目は、重要政策の分岐点で失態を重ねてきたことである。言い換えれば好機を逃してきたということである。古くは、身体障害者福祉法の制定時などが想い起こされる。制定過程をまとめた解説書の中で、当時の厚生省更生課長は「諸外国の現在の立法例によれば、必ずしも厳密に障害の個々の種類範囲等を規定せず結果において職業能力が相当損なわれていると認めるときは、たとえ内臓諸器官の障害であれこれを含むという形式をとっているものが多いが、……」(1951年発行の身体障害者福祉法解説より)と記している。今日テーマとなっている難病や高次脳機能障害などの人に対する福祉や就労施策の格差的な扱いは、関係者の誰かが執拗にこだわっていたとしたら別の展開をたどっていたかもしれない。ILO159号条約(職業リハビリテーション及び雇用に関する条約)を批准したのは1993年であるが、この時も大魚を逃した。やはり今日的な政策課題が論じ られていた。運びようによっては、福祉施策と雇用施策の一体的展開に関する強力な礎が打ち立
てられていたように思う。結果は形式的な批准に終わってしまったのである。
遅れの理由の一つ目については、専ら政治や行政の問題であり、不作為という言い方もできよう。二つ目の政策分岐時の失態はこれとは異なる。むろん、ここでも政治や行政の姿勢が問題となろうがそれだけではない。NGOの判断や関わり方も問われる。わけても障害団体のリーダーの責任は重い。自覚できにくい力量不足であればまだしも、看過できないのは行政による「悪いようにはしないから」の甘い言葉に乗ってきたことだ。悲しいかな、重要な政策の岐路で、行政にコントロールされた事実は余りに多過ぎる。
さて、現下の状況と重ねるとどうだろう。骨格提言の成否がかかっているのだから、歴史的な分かれ道と言ってよかろう。ただし、局面は非常に厳しい。周知の通り厚労省の消極さは目に余る。これに引きずられている与党・民主党も情けない限りだ。そんな中でも方向性に手応えを覚える。それは、あの骨格提言を55人部会の総意でまとめ上げたという事実がもたらすものだろう。しかもその総意はその後も成長を遂げている。とてつもない底力が備わってきているように思う。最大にして最終の審議の場となる国会が、この総意と底力を見捨てることはあるまい。総意を大切にする中に、邪道を遮断し、進むべき正道が開けて行くのではないだろうか。