2011.12.19
廃止は自明ではなかったのか(上)
日本障害者協議会常務理事 藤井 克徳
忘却曲線というのをご存知だろうか。人間の記憶というのは曖昧で、2週間ぐらいを境に新たに覚えたことの大半は急カーブで遠ざかるとのこと。理不尽さなどを伴う衝撃的な出来事となると話は別。「しこり」のようになって脳の奥深くに住み着くらしい。記憶のしこりを障害分野との関係でみるとどうか。いくつもあろうが、最近ではいわゆる「つなぎ法」の国会通過があげられよう。「つなぎ法」とは、正確には「障がい者制度改革推進本部等における検討を踏まえて障害保健福祉施策を見直すまでの間において障害者等の地域生活を支援するための関係法律の整備に関する法律」で、ちょうど1年前の2010年12月3日に参院本会議において採決が強行された。
実は、この「つなぎ法」は、民主党の閣僚の一部からも「廃止が決まった自立支援法なのになぜ"つなぎ法"が必要なのか」とあったくらいで、不可解さが残っていた。さらに不可解さを助長したのは、同じ日の参院本会議で成立をみた法律だった。その名は「原子力発電施設等立地地域の振興に関する特別措置法の一部を改正する法律」だ。当時の国会は、野党が優位の参議院において内閣総理大臣に対する問責決議が提出され、空転したまま閉会に向かっていた。事態は一転、閉会中審査の件で開いた本会議でこれらの法案があっ
さりと通ってしまった。問題は、二つの法律の間に政治的な取り引きがあったかどうかである。
ある与党議員は、問責決議提出下での法案成立自体が異例であるとした上で、「与野党の双方から、こちらを通す代わりにこちらも」と言うのは珍しくないと漏らす。今を震撼させる原発関連問題が絡んでいたとなると、これまた因縁染みた話ということになる。
曰くつきの「つなぎ法」であるが、素直に捉えれば「新法へのつなぎ」ということになるが、ここにきて雰囲気が変わってきた。簡単に言えば、自立支援法の命をつなぐという意味での「つなぎ法」に変質しつつある。自民党関係者からは「自立支援法を大改正したのが『つなぎ法』で、これを修繕すれば事足りるはず」、こんな声が聞こえてくる。民主党からは、正式な見解はない。ただし、10月末から始まった同党ワーキングチームによるヒアリングの席上で、障害関連団体に「骨格提言を生かした「つなぎ法」の改正でいいのではという意見もある。これをどう思うか」といった趣旨の質問が投げかけられている。単純な質問とは思えない。そこに民主党担当部署の本性を垣間見る思いがする。
私たちの立場は明快だ。「廃止」の二文字に尽きる。自立支援法違憲訴訟に伴う基本合意文書、骨格提言の真髄、新政権発足直後の鳩山由紀夫総理大臣や長妻昭厚労大臣の「廃止宣言」、民主党の選挙公約、どこからみても廃止しかない。「つなぎ法」という根っこに、いかに骨格提言を接ぎ木しようがまともな花など咲くはずがない。自立支援法問題で問われたのは、まさに「根っこ」の部分(障害を自己責任とする考え方など)だった。結果的に現行の「つなぎ」法と共通になる点は少なくないかもしれない。しかし、廃止という一線を超えるのと、そうでないのとでは法の価値は全く異なるはずだ。法の理念や個々の施策にも有形無形の影響が出よう。さらに心配なのは、万が一でも廃止が反故になった場合の政治や行政への不信である。禍根は取り返しのつかないものとなろう。
これ以上政争の具にしてほしくない。障害団体にくさびを打ち込むのも避けてほしい。与野党を問わず、心ある国会議員の真摯な対応を、そして何より後世に恥じない立法府の毅然とした姿勢と決断を期待したい。
2011年「すべての人の社会」12月号「視点」