2013.10.02
◇暴挙に前例ない憤り−−弁護士、生活保護問題対策全国会議代表幹事・尾藤広喜氏
8月からの生活保護費の切り下げ=1=を巡り、全国の受給者約1万人が自治体に不服を申し立てることになった。この活動に取り組む「生活保護問題対策全国会議」代表幹事で弁護士の尾藤広喜氏に聞いた。【聞き手・遠藤拓】
−−各地の受給者が集団で不服を申し立てる運動に、構想段階から関わってきました。
今回の切り下げで、政府は生活保護の利用者の意見を聞いていません。当事者の意向を全く反映させないのは、生活保護を権利でなく、「お恵み」と考えているからではないか。だからこそ、まず当事者が声を上げる機会が必要と考え、審査請求=2=を呼びかけることにしました。6月に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太の方針)にもあるように、政府は生活保護の各種加算や扶助をさらに削減しようとしています。こうした動きにも歯止めをかけなければなりません。
−−審査請求するのは46都道府県で9797人(世帯主ベース、9月27日時点)に上るそうですね。
生活保護を受ける立場で請求に踏み切るにはかなりの覚悟が必要です。福祉事務所から嫌がらせを受けるのではと不安に思う人も多くいます。それでも、生活保護関連の審査請求で最多だった2009年度の1086件を大幅に上回ります。前例のない切り下げに、前例のない憤りが集まったということです。
−−政府は切り下げの理由として、受給世帯の保護費が一般低所得者(収入が低い方から10%の世帯)の生活費を上回ることと、物価の下落を挙げました。
厚生労働省が受給世帯と比較した層には、保護を受けられるのに「恥だ」などと考えて申請していない世帯も多く含まれています。受給世帯が上回るのも当然で、不当な手法だと思います。ただし、この一般低所得者並みへの切り下げによる保護費の削減は90億円に過ぎません。厚労省は、これでは「10%削減」を掲げた自民党の意向に沿わないと考えたのでしょう。それまで全く議論されていなかった物価下落を新たに持ち出しました。この削減額580億円をはじき出す際は、価格変動が激しく、受給世帯があまり使わないパソコンなど電化製品の価格下落を大きく反映させています。今回のような大幅な、なりふり構わない減額は過去に例がない。とんでもない暴挙です。
−−とはいえ世間の目は厳しく、「税金の無駄遣い」との声は政治家からも聞こえます。
理由の一つは昨春から続く「生活保護バッシング」でしょう。芸能人が生活保護を受ける母親に扶養義務を果たさなかったと批判され、急速に風当たりが強まりました。
最低賃金が低い地域ではフルタイムで働いても収入が生活保護以下という人がいますし、国民年金は満額でも生活保護を下回ります。税金でまかなわれる生活保護に対し、こうした人々の視線が厳しいのは確かですが、本来は賃金や年金の低さこそ問題。健康で文化的な最低限度の生活を保障した憲法25条の理念や、貧困は個人の責任でなく社会の構造から生じるという考え方が、十分に理解されていないのは残念です。
−−審査請求が退けられて集団で行政訴訟を起こす場合、裁判費用はどうするのでしょう。
生活が苦しい当事者に負担を求めるのは難しいでしょう。この裁判は年金や最低賃金の水準をこれ以上下げない、少しでも引き上げる方向につながるなどと訴え、広く市民からカンパを集めなければと思います。
−−生活保護の切り下げは、他の制度にどう影響を及ぼしますか。
例えば、経済的理由で学校に通うことが難しい家庭を支援する「就学援助」制度は、各自治体が生活保護の水準を参考に、対象世帯の収入の上限を算出します。今回の切り下げを踏まえた自治体の判断次第では、今まで制度を利用していたのに、来年度から援助を受けられなくなる家庭が出てくるかもしれません。
来年度から住民税の非課税基準も下がる可能性があります。保育料や国民健康保険料、介護保険料を減免されていた人が新たに負担を求められることにもなるでしょう。
影響が及ぶ可能性がある国の制度は計38と言われます。このままでは貧困層を支える種々の制度が切り縮められ、生活保護を受けずに歯を食いしばっているボーダーラインの人々にまで不利益が及びかねません。
−−社会保障制度の変革の動向とも関係がありそうです。
財政状況が厳しい中、政府は医療、年金、介護の各分野で給付抑制を進めようとしています。生活保護切り下げはその先取りです。民主党政権時に自公との3党合意で成立した社会保障制度改革推進法の付則は、生活保護の「給付水準の適正化」などを行うとしています。適正化とは切り下げという意味です。生活保護の縮減なくして、他制度の縮減はおぼつかないという発想です。
生活保護はナショナルミニマム(国が全国民に保障する最低限度の生活水準)と直結した制度です。だから切り下げは当事者だけの問題ではなく、国民生活全般に影響します。
◇聞いて一言
生活保護問題を巡る社会運動に取り組むことで知られるが、実は元厚生官僚。かつては生活保護行政を担当し、法曹界に転じた後も「社会を底支えする制度だから世の中の矛盾が見える」と力を注いできた。古巣と対峙(たいじ)しても、思い通りの結果となることは決して多くなかった。その尾藤さんが、今回の切り下げは「さすがにやりすぎです。厚生労働相の裁量権を逸脱している。裁判の勝ち目? ありますよ」と言い切った。いずれ最高裁の判断を仰ぐ時が来るだろう。今後も注視したい。
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■ことば
◇1 生活保護費切り下げ
生活保護費のうち日常生活費にあたる生活扶助を減額すること。政府は今年8月と14年4月、15年4月の3段階で総額670億円、世帯別の平均で6.5%、最大10%を減額する方針を示している。削減率は各世帯の人員数や年齢構成、住む場所によって異なる。過去には2回、03年度(前年度比0.9%減)と04年度(同0.2%減)にも行われた。
◇2 審査請求
行政不服審査法に基づき、行政の処分や権力行使に不服を申し立てる手続き。生活保護関連では、処分を知った翌日から60日以内に都道府県知事に申し立て、50日以内に裁決を受ける。審査請求が退けられれば、厚生労働相への再審査請求や、処分の取り消しを求める行政訴訟に移行できる。
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■人物略歴
◇びとう・ひろき
1947年香川県生まれ。京都大法学部卒。旧厚生省勤務を経て75年に弁護士登録。現在、日弁連の貧困問題対策本部副本部長。