画像クリックで拡大
11月3日、四者協(注)主催で、「戦争あかん ~障害者は平和でなければ生きられない~」の学習会を開催しました。
第一部は、大阪大空襲を3度経験した小嶋澄子さん(元大阪府守口市小学校、養護学校教諭)の語りでした。体験を下に、資料などで裏づけする説明を息子さんである小嶋真人さんが映像を交えて解説いただきました。
「小学校一年生になった年に、満州事変が起こりました。」と始まり、兵隊が爆弾を抱えて敵陣に向かっている様子を伝える映画館でのニュース、武運長久と書いた手ぬぐいに赤い糸の丸結びを縫った千人針、軍需工場で魚雷についた傷を見つける勤労奉仕、学校では軍服を縫ったこと、体操の時間には、手榴弾投げの稽古、竹やりで突撃の練習などの経験を話されました。終戦を伝える玉音放送では、「今晩から(空襲におびえて)電灯にカバーせんでええのや」と喜んでいいのか悪いのかと思ったということでした。
「やっとここまで落ち着いて暮らせるようになって来ているのを壊さずにと願わずにはいられません。一日一日を大切に生きていきましょう。」と90歳を迎えた小嶋さんは締めくくりました。
第二部は、小学校一年生で不発弾で遊んでいて失明、両手を失った藤野高明さん(元大阪市立盲学校教諭)。
戦後翌年、近所の小川で拾った不発弾で両目両手首を失い、5歳だった弟は即死。闘わなくてもよいという時期に子どもが殺されたり障害者にさせたれたりするというのは受け入れられない。平和が回復して、戦争と同じ状況が再現されることは別の苦しみがある、と話されました。
13年も学校に行けず、「不就学」に捨て置かれたこと、点字と出会い唇で読むことを習得し、大学で勉強。教師になっていく過程は、差別と偏見、無理解との長い闘いの末、労働する権利を勝ち取った人生でした。「戦争という時代を引き寄せないように、何かを語っていくことが大事だ」と話されました。