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熊本地震から5か月を迎えました。被災地の障害をもつ人たちはこの5か月をどう過ごしてきたのでしょうか。
7月、9月とJDF熊本支援センターで1週間ずつ、被災地支援にはいり、関西には伝わってこない被災地の厳しい現実、取り残されていく困窮した障害者の実態がありました。
震度7の前震、本震が続けて襲った熊本。余震回数は2000回、全壊・半壊等16万棟。避難者は最大時18万人・・・・・。そんな中、障害をもつ人たちの命綱となる福祉避難所は140か所の内5か所しか機能しませんでした(熊本市)。3万5千人の要支援者の大半は入れなかったです。避難所から排除された障害をもつ人たちは、赤紙(危険家屋の印)の貼られた倒壊しかかった自宅で過ごし、失禁が続いてむせ返るような車内で泊り続けるしかなかったといいます。きょうされんは地震直後から災害対策本部をつくり、被災地での安否確認、救援物資の搬入、配布等々に奔走し、JDF熊本支援センターが立ち上がると毎週10人を超える支援員を全国から派遣し、日本相談支援員協会と訪問調査を行ったり、事業所の支援、仮設住宅調査や、行政との懇談などに取り組んできました。
9月17日から24日までは、益城町総合体育館(県内で唯一残っている避難所で困難を抱えた人たちが集中)にはいりました。
支援に入る2日前に県が「体育館も10月末で閉鎖」と記者会見した直後。マスコミが取材に入ったり、台風16号が襲来したり、ピリピリした空気の中での支援でした。
長崎などから派遣されてきたMSWと一緒に避難所をラウンドし、寄り添いながらいろいろな不安を傾聴し、隔日のマシコム会議(益城町福祉課・役場避難所対策チーム・指定管理者のYMCAも参加)で、困難ケースの情報を共有、課題を挙げていきます。
近くの川に入水しようとする認知症の高齢者を見守り、絶望感から食事を摂らなくなった人を精神科受診させる準備、現金がなく仮設に移っても日用品が揃えられない人の支援・・・仮設住宅が決まっていても避難所に居続ける人も少なくありません。
社会資源の乏しい町で、彼らを支える手立てをどう打って行くのか、10月町社協を軸に立ち上がる「益城町地域支え合いネットワーク」組織がどう稼働するのか、色々なことが不透明なまま、避難所閉鎖がすすめられています。1週間のクールで出来ることは少ないですが、役場対策チームの看護師や保健師、YMCAと連携を取り合いながら、少しでも前にすすめるための支援とともに、被災障害者の実態をきちんと県・町に伝え障害者施策の抜本的な拡充を求めていくことが必要です。
障害者差別解消法施行後に起こった熊本地震。障害があることで支援が届かない、障害があることで復興から取り残されていく人たちがなんと多いことか。今、地震だけでなく異常気象による災害も後を絶たず、東北や熊本で起きた事態は、わが町でも起こりうると思います。12月に行うきょうされんと奈良県障害福祉課との交渉にぜひ生かしていきたいです。
きょうされん全国理事 小針康子