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『きょうされん~相模原事件の声明を読む』
(声明は、きょうされんHP http://www.kyosaren.com/statement/)
きょうされんから出されている「障害者入所施設で起きた殺傷事件について」の声明を読んで感想を書いて欲しいと原稿を依頼されて、正直今私に何か言えるかと思いましたが、20年近く障害者の横に居る者として少し考えを述べたいと思います。
私達の運動は、障害者が普通に生活する者として社会に関わることで、その存在と置かれている現状を社会に知らしめ、様々な場面で公平に扱われていないといった問題を解決していくことであると私は考えています。しかし、現状は障害者本人が主体的に問題を認知するための経験が、サービスによって得られない事が大いにあると考えます。サービスによって世間と本人の間の問題が生じないように調整されてしまうと、そこに疑問も怒りも生まれないのではないでしょうか。結果として社会に本人が主体的に関わる機会がないので、存在が認知されず、その障害を持つ当事者の命にさえも関心が向かない結果が今回のこの事件に現れたのではないかと思います。
人は皆等しいのです。でも、人が人を認知するには現実の関わりが必要です。実際に目の前に存在して、息遣いを感じないと、その人を思うことは出来ないのではないでしょうか。サービスは手段です。目的ではありません。自分が自分の人生を自分らしく生きる為の手段です。主体性が障害者本人に芽ばえるような支援を実践し、地域に自分達の存在と思いを発信出来る当事者が増えないと、同じ命の重さがあることが本当に伝わらないのではないでしょうか。結果、障害当事者への関心が薄くなり、殺されるという一番重大な人権侵害に対しても社会全体が怒りを露わにしないと考えます。これが進むと、誰かが誰かに死ぬことを強要出来る社会が来るのではないでしょうか。そんな社会が来ないように、人の多様性が本当に認められる社会を作る為に、今当事者の皆さんと私たちがやらなければならない時期に来ていると今回の事件から強く思いました。 (八百本 哲)