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クール初日には綾瀬はるかさんがヒート
テックを手渡しに輪島入り、翌々日には天皇
夫妻も奥能登訪問に。もうすぐ1年を迎える被災地。イベントが催される一方、地震と
豪雨の被害は凄まじく、復旧のあまりの遅さを実感するものでした。隆起で海底が出没した海岸、山の土砂崩れ、橋の崩落、倒木が
川の泥水をかき回し、田んぼには収穫間近の稲が薙ぎ倒されたままになっていました。
まさしく地震に追い打ちをかける深刻な災害でした。 支援活動初日には、輪島、珠洲の被災地を見学し、翌日以降、チームを分けて以下の活動を行いました。
聴覚障害のB型事業所「やなぎだハウス」
浸水被害で床板をはがし、コンクリートにブルーシート敷きという作業室。
底冷えし、隙間風はタオルを突っ込んで防いでいます。支援2日目、送電盤がまた
故障、停電!たった一つのストーブも消え、みな震えあがりました。春夏からすすめた改修工事は、業者が足りずようやく見積もりが出た状態。今冬どう乗り切って行けばいいのでしょう。それでも利用者は「あの時(発災時)よりはまし。」「明日は仕事できる?」とたくましい。希望を紡ぐ事業所を何としても支えたい思いに駆られます。最高齢83歳、平均年齢65歳という利用者、過疎ならではの事業継続の悩みも尽きません。施設長が疲れやすく、頚腕症候群が悪化しているのもとても気になりました。
輪島市 土砂崩れに大迂回。
吹雪く桜峠を疾走して通院支援に。
支援の2つ目の柱は移動支援です。町野町仮設住宅から、開通したばかりの白米千枚田を通る海岸線を往復しました。黒いプレパックが両脇に延々と続き、突然現れる
一方通行信号や、隆起に注意しながらすすみます。道中のトラブルで遅刻を取り戻すのに雪の山道を走り抜けるのは勇気が要りました。が、遅刻を謝り倒す私に精神障害の彼も安心したのか、車中いつになくたくさんおしゃべりしてくれ、ホッとしました。能登地震から間もなく1年、「アニバーサリー反応」は多くの被災者におこると言われ、心のケアが、今大きな課題です。また、この移動支援を引き継いでくれる事業所を現地で作れるだろうか。行政や国の特別な財政支援が求められます。
この他にも 七尾市の事業所ゆうの丘、仮設住宅の障害者訪問などあっという間に
1週間が終わりました。まだまだ復興は続きます。そして、まだまだ人の支援が必要
です。
*TOMO3月号特集にこのクールで行った奥能登の3人の相談支援員のインタビューを掲載します。ぜひ読んで下さい。
こぶしの会相談支援センター 小針康子