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10月25日「優生保護法問題の全面解決をめざす全国集会」が東京の日比谷野外音楽堂で開催され、会場には1400人、オンライン視聴に1200人が参加しました。
集会参加への思い
現代の日本では出生前診断や、相模原障害者施設殺傷事件等、社会にとって有益でない人間は不要である、といった優生思想に、どう向き合っていくべきか、途方もない壁のようなものから目をそらしていたようにも思います。
上司から「分からないまま、そのまま肌で感じに行ってもいいのでは?」と
アドバイスを受け、不安もありつつ参加しました。
肌で感じて思ったこと
原告からの「何が起こるかも分からず、気づいたら何の手術をされたか分からないまま、手術をされていた、そして子どもが出来ない体になっていた」、「無理やり手術を受けさせられたという事実は一生忘れる事ができない。子どものもうけることのできない体にされ、二度と戻らない」、「被害にあっていながらも、誰にも話せなかった」といった強い訴え、壮絶な過去に、自分は何も知らなかった、と感じました。
「この裁判が終わったとて、終わりではない、むしろそこからが、将来に向けて繰り返さないために、検証や、教育など、自分たちが考えていかなければならないことだ」と感じました。
デモ行進は、「見えない問題は、社会の問題にならない」とシンポジウムで話されていたように、社会に問題を訴える機会になったように思います。
当事者の方が「いらない人なんていない」と小さく書いたメッセージを持っていたことが特に強く印象に残っています。彼女は、一体どういった思いでその小さな紙を持っていたのだろうか、思い返すと未だに胸が締め付けられます。
全国集会に参加し、優生保護法問題だけで終わりではない、次なる優生思想や
差別に気づき、社会に問いかけ、変える力が必要であると考えました。
五十嵐 理紗(りべるて)